《 DB 》の歴史。Vol.1

Aston Martinには、現在4種類の12気筒モデルがございます。

 

DB9 GT・VANQUISH・RAPIDE S・V12 VANTAGE S

VANQUISHは「征服する」、VANTAGEは「優位」、RAPIDEは「速く」の形容詞と

分かりやすいイメージがあるのですが

DB」ってなんぞや?と思われた方、少なからずいらっしゃることと思います。

 

現在、DB9まで登場しているのですが、9ということは、DB1~続いております。

 

だからその「DB」って何?というところなんですが

これは、アストンマーティンの元オーナー『David Brown』の名前に由来します。

 

 

デビッド・ブラウンは、第二次世界大戦後の1947年に、当時売りに出されたアストンマーティンを

僅か20,500ポンドで買収します。

日本円に換算しますと、およそ350万円でひとつのブランドを手に入れたことになるんです。

 

デビッド・ブラウンは、高級ブランドとしてのアストンマーティンを形作り

1987年にはFordに買収されるのですが、それはまた別のお話。

 

そのデビッド・ブラウン体制となって、最初に《 DB 》の名を冠したのがDB2

 

 

1950年にNY自動車ショーで公開されたDB2 は、410台が製造されました。

アストンマーティンと統合したラゴンダに由来する、6ストレートエンジンを搭載。

ルマンとセブリングのレースで成功したため、ここからレースカーの製造が本格化スタートします。

 

そうして造られたのが、DB2/4DB MARK Ⅲです。

DB2、DB2/3、DB2/4、DB MARK Ⅲなど、1950年代に製作されたモデルは

レースでの優れたパフォーマンスとアストンマーティンの製造品質を証明し

そのスタイリングなどは、その後のモデルにも採用されていきます。

アストンマーティンの基盤を造り上げた時代なのです。

 

 

あれ?じゃぁ DB1 は?と思いますよね。

これは『Coal ScuttleとDB1』で少しご紹介しましたが

元々《 DB1 》という名前のモデルは、ありませんでした。

製作当時は《 Aston Martin 2-LITRE SPORT 》と呼ばれ

後に、デビッド・ブラウン指揮下での最初のモデルということで《 DB1 》となったのです。

 

 

デビット・ブラウンにとって、あくまでもDB1はプロトタイプだったのかもしれません。

 

では、話を元に戻しまして

DB MARK Ⅲとほぼ同じ頃、1956年に今度は DB4 の開発が始まります。

DB4は、主要部品のほとんどが新設計となり、ボディはカロッツェリア・ツーリング(ミラノ)が担当し

「スーパーレジェーラ」と呼ばれる構造が採用されました。

 

 

0-100-0mph(Mile per hour)を30秒未満でクリアできる、最初の市販車として

アストンマーティンの代表的なモデルにもなりました。

 

その後、公道でもサーキットでもパフォーマンスを発揮できるDB4 GT

 

 

イタリアのコーチビルダー・ザガートが手掛けたボディを持つDB4 GT ZAGATOも誕生します。

 

 

DB4 GT ZAGATOに至っては、わずか19台しか製作されておりません。

しかも、オリジナル・シリーズの中に、未使用のシャシーナンバーが4つもありました。

この4つは、イタリア製ボディを採用した「Sanction Ⅱ」Zagatoなるものへと変身。

2012年にこのSanction Ⅱが販売された時、123万ポンド(およそ2億1千万円)で取引されており

DB4 GT ZAGATO「Sanction Ⅱ」と「Sanction Ⅲ」は、非常に希少価値が高くなっております。

 

DB1~DB4まで、およそ20年。

力を入れ始めて一気に駆け抜けた印象ですが、さらにDB5から続いていきます!